このひとつ前の投稿で『大地震への序章でありませんように』と書きましたが。

実際そうなってしまいました・・・。

日中だったので仕事中。
社内はざわざわはするものの・・・
蛍光灯カバーが外れようと防火扉が閉じてしまおうと、
サーバーが停電発生でビービーなろうと、
それほどパニックにならない。
机の下に隠れる人も、外に行く人もいない。

2,3回目でどうにもこうにも耐えられず外にでました。

で、停電ではわが社は仕事にならないので・・・
帰社可能な人は帰ることに。

閣下に連絡をとり、閣下のオフィスへの連絡網的な事務的な会話をし。
とりあえず保育園へ。

渋滞。そして信号はなし。
アイコンタクトのみで片側2車線無法地帯の交差点突破。

いつも通っている道路が陥没で通行止め。
回り道して迷いながら到着。

園庭が開放されていて、お迎え。
なにがなんだか・・と言う感じのタイガとアカリを乗せて。
家へ。

家の中はまぁ、落ちてるだろ・・と思ったところは落ちてましが。

まだ蓄熱があたたかいし、明るいうちは特に・・・それほどの危機感はありませんでした。

停電も今夜中には復活するんじゃないかと・・・・。
日中まではまだ電話もつながったし、メールもできました。


1日目の夜。
懐中電灯ですごす。
ご飯はパンとお菓子と果物。
皿を洗う水が冷たすぎ・・・。
夜は寒いが布団で凌げる寒さ。

夜中近所に住む親戚がカセットコンロを届けてくれる。

お湯を沸かして起きていた親だけカップラーメン。

ここらへんでメールも電話も不通。
ケータイでワンセグを見て、全然マシだと思う。
飲み込まれた町を見ると心が苦しくなる。

余震で目覚めたタイガが正座で『いんやぁー。ぶっくりすたなー。がたがたってなー』と訛り全開で話す。そして即寝。
この震災の最中笑いがあるのは子供のおかげ。

2日目の朝。
朝ごはんはパン。バナナ。
冷蔵庫冷凍庫を片付ける。
ご飯をカセットコンロ+圧力鍋で炊く。

2日目の昼。
おにぎりとカップラーメンでお昼。
閣下の出社に付き添い、カセットコンロのガスを買い求めるが・・
5箇所ぐらいで売り切れ。
やま春がやっていたので、果物を大量に購入。
大きな店は店内には入れず店先で註文して購入する方式。
行列は軽く1時間待ちぽい。
ガソリンスタンドは停電でまた閉店中。
この日はやま春とサンデー、ローソンでちょこちょこ購入。
電話メールがつながる。丘でなければOKなのか・・・。

2日目の夜。
ガスが心配なので買ってきたもののカップラーメンと果物。
昼の残りのおにぎり。
蓄熱が冷え切ってだいぶ寒い。
カイロを貼って暖をとる。
あまりに電話等がつながらないので、アンテナor公衆電話を求めて出かける。
公衆電話は1人待ちぐらいで使える。無料。
実家につながる。どうでもいい話を長々とされそうになる。長い?と聞く。
閣下実家に帰って来いと言われる。
とりあえず寝る。

3日目の朝。
5時ぐらいに家電が動き始める。
電気!!きた!!
閣下がテレビをつける。
愕然とする。見てられないけど目が離せない。
朝ごはんは前に購入していた長持ちのパン。
お風呂に入る。

3日目の昼。
お昼ご飯はどこかでおいしいものが食べたいと思い、大戸屋。
10種類ぐらい以外のメニューは全部提供。
めちゃくちゃおいしかった。
買い物。今後の流通が不安なので日用雑貨も多少買い込む。
パンとバナナが欲しく、ツルハ、三光等を見るがない。
八食によって見たら、大量のバナナ。
八食は結構穴場らしく商品が豊富。パンも購入。
ガソリンスタンドはほぼ全滅。午前中に行動すべきでした・・・。
ガス欠ぽい感じで停車している車もちらほら見るし。
気をつけて行動しないとなぁ・・・。

この辺で電話も復活。

3日目夜。
肉野菜炒めを作って食べる。温かい食事幸せ。

こんな感じで今まで過ごしてました。
今回は私の住んでいるところは電気だけだったので、
不便はありましたが、生命にかかわることはなかったです。
恵まれた環境だったと思います。
オール電化の落とし穴的な部分は普段の贅沢の反動なので、しょうがないです。

これからの生活がどうなっていくのか想像が出来ないのですが。

明日は出社してみます。保育園がやっていれば・・・。